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先祖が日本統治時代に台湾にいた人は調べてみましょう

台北市中正区戸政事務所
私の父親は台湾生まれ、いわゆる湾生です。曽祖父が東京から台湾に渡り、祖父と父とその家族は日本統治時代が終わるまで台湾で生活していました。
同じように先祖が台湾で暮らしていたという人は多いと思います。最も日本人が多かった1930年頃は20万人もいたようですから。
でも、どこに住んでいたのかなど足跡まで知っている人は意外と少ないのではないかと思います。
実はこれを調べる方法があります。
簡単に言うと、日本で資料を準備し、台湾の戶政事務所に行くと調べることができます。
台湾にも戸籍はある
戸籍という制度は「日本にしかないと思っていた」「世界中であると思っていた」という両方の人がいると思いますが、実は主にアジア圏では戸籍という制度があります。
例えば台湾、韓国、中国、ベトナムなどで日本の戸籍制度に近い制度が見られます。
しかし、あるとは言っても各国でその制度は微妙に違い、日本と全く同じではありません。
日本では戸籍は個人というよりは家族単位のものですが、外国では主に個人単位です。
台湾は日本統治時代以前は戸籍というものはありませんでしたが、日本統治時代に戸籍制度が日本と同様の形で取り入れられました。
終戦後も戸籍制度は残り続けましたが、その制度自体は改正され、台湾もどちらかというと今は個人単位の記録となっているようです。
でも、過去の記録を調べることができます。
日本で事前に準備するもの
私は先祖の台湾での足跡を調べたいと思い、父親に聞いて、かつて自宅があった場所や曽祖父や祖父がやっていた会社の場所を訪れたことがありますが、できれば戸籍も調べてみたい、そんな思いがあり、まずはネットで情報を探しました。
何をどうしてどこに行けば良いのかわからなかったのです。
調べていると、一つのブログ記事が見つかりました。
この記事の情報が非常に頼りになりました。記事によると最低限必要なものは、
絶対必要なもの
- 先祖との血縁関係がわかるように対象となる人の戸籍謄本を用意する
- 台北駐日経済文化代表処でその戸籍謄本を認証してもらう
まず上記は絶対必要だそうで、私もこれを用意しました。

台北駐日経済文化代表処那覇分処
台北駐日経済文化代表処での認証は一通の戸籍謄本につき2,300円。認証をもらうまで数日かかります。
なぜ認証が必要なのかというと、戸籍謄本をそのまま台湾に持って行っても、台湾人はこれが本物なのかどうなのか判断ができません。
戸籍は基本的にその親族だけが閲覧できるものです。私が本当に親族であるのかどうかなどわからないのです。
そのため台北駐日経済文化代表処で認証してもらうことにより、「この戸籍謄本は間違いなく日本の正式な文書である」という認証をしてもらう形です。
これらに加えて用意したのは下記です。
用意したもの
- 私、父、祖父、曽祖父及び家族の家系図
- 父、祖父、曽祖父とその妻の誕生日一覧
これらをあらかじめ準備した上で、向かったのは台湾の戸政事務所です。
誕生日はわかる範囲で大丈夫かと思いますが、誕生日で検索する場合に備えて調べていきました。
また、事前に分かれば町名まででも良いので住所なども明記しておくと良いでしょう。とりあえず、知る限りの情報を渡して調べてもらう形です。
台湾の戸籍管理は戸政事務所
戸籍の管理は日本では各自治体の役所(区役所、市役所など)で管理していますが、台湾では役所とは別に管理している場所があります。
それが戸政事務所です。
戸政事務所は台湾各地にあり、日本統治時代の資料は今ではオンラインで取り出せるため、どこの戸政事務所に行っても大丈夫だそうですが、あまり地方に行くと係員が知らなかったり、慣れていない場合もあるそうなので、できるだけ人口の多いところの戸政事務所に行った方が良いそうです。
台北市内中心部なら問題ないと思います。
ちなみに私は先祖が住んでいた場所から最も近い台北市中正区戸政事務所に行きました。

台北市中正区行政中心ビル
台北市中正区行政中心というビルの中に台北市中正区戸政事務所があります。
場所は善導寺の目の前です。忠孝西路一段沿い。MRTの善導寺駅3番出口から徒歩1分。
このビルの7階です。エレベーターで上がります。

台北市中正區戸政事務所は7階
戸政事務所は朝8:30から開いています。私はほぼオープン直後に行きましたが、受付番号は12番。
中正区戸政事務所の営業時間は8:30〜17:30です。土日祝はお休み。
日本と同じように番号札が発券されて、その番号が表示された席に行けばOKです。
しばらく待ちました。20分くらいでしょうか。

台北市中正區戸政事務所
担当してくれた人は男性。主任という肩書きの人で、大変親切にしていただきました。ありがとうございました。
日本語は全く通じませんが、資料と、翻訳アプリで意図は通じたようです。
日本だとこういう場合は、1時間、2時間平気で待たされることがありますが、台湾は比較的早いです。
30分程度はかかりましたが、当時の戸籍資料をコピーしてくれて渡してもらえました。
戸籍資料を見て分かったこと
台湾での戸籍は、全ての人が同じなのかは分かりませんが、私の先祖の場合は、本籍は移しておらず、寄留という扱いになっていました。
本籍を日本に残したまま台湾に住んでいた人を内地人と言うそうです。
戸籍は当時のものなので活字ではなく全て手書き。非常に達筆というか崩し文字というか、現代の人が読んでもなかなか読み取れない部分も多かったです。
しかし、いくつか分かったことがあります。
曽祖父は最初は台北市府前街というところに住所登録していたようです。これはどうやら会社があった場所のようです。
会社の建物は一部だけですが、残っています。良華行というお店の建物です。現在の重慶南路一段沿いです。

良華行(旧日進商會本社)
当時の会社の社長は自宅ではなく、会社で寝泊まりすることが普通であったと、父親から聞きました。
府前街はどうやら1922年に町名変更で本町となったようで、本町1丁目28番地という表記になりました。
驚いたのは、府前街3丁目27番地という当初の住所の記録を見たときです。
なんと、これの「3丁目27番地」は私の東京の実家の住所と同じなのです。こんな偶然あるんでしょうか。
一方、自宅は大正町2丁目54番地にありました。現在の林森北路周辺になります。

かつて自宅があった場所(台北市大正町2丁目54番地付近)
自宅があった場所はもう跡形もありません。自宅は200坪あったというので、かなり大きな家だったようです。
大正町は高級住宅地であったそうですが、大体1区画40〜50坪程度だったそうで、曽祖父の自宅は4区画くらいの大きさであったそうです。
リッチだったんですね。大正時代とはいえ、電気、ガス、水道、電話も使えたそうです。
曽祖父小林惣次郎という人
東京で役人をしていたという私の曽祖父は、何を思ったのか、どういう経緯があったのかは分かりませんが、台湾に行って商売を始めました。

小林惣次郎(台北信用組合理事/画像:国立台湾図書館)
それも日本が統治を始めた明治28年(1895年)に台湾に渡ったようです。
日本統治が始まったとはいえ、どうなるかわからない台湾にいきなり家族と共に渡ったというのは本当にすごい決断のように思います。

小林惣次郎(出典:台湾人物誌)
台湾に行った当初は鮫島商會というところに身を寄せていたようです。
洋傘店が軌道に乗った後は綿布商となっていたようです。
昭和15年(1940年)に亡くなるまで台湾で生活していましたが、今はお墓も撤去され、跡形もありません。
台湾で先祖の戸籍を見る方法まとめ

台北市中正区戸政事務所
台湾華語(中国語)を話せた方が、もちろん良いのですが、今は翻訳アプリは優秀です。
翻訳アプリを使えて、資料さえ事前に用意していけば、きっとあなたの先祖の情報が得られます。
観光客が台湾のお役所に行くなんて、なかなかない経験ができます。これもまた台湾の楽しみ方の一つ。
そしてこれができるのは先祖が台湾にいた人だけです。
もしこれを読んでいるあなたがそうなら、ぜひ行って調べてみてください。
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