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台湾台北市に残る日本統治時代の建築物の昔と今の姿を比較

台湾には日本統治時代の建物が多く残っています

中華民国総統府

中華民国総統府

このブログを読む層のほとんどの人は知っていると思いますが、台湾はかつて日本が統治していました(1895-1945年)。

日本統治時代に台湾には多くの建物が建てられ、その一部は現在まで残り、そしてその多くは現在も現役で機能しています。

「台湾に行くと懐かしさを感じる」という感想を持つ日本人がいます。

「お前、そんな時代に生きてないだろ」と揶揄する人もいるかもしれませんが、確かに戦後生まれなのに、同様の感想を持つ人がいます。

それはやはり写真や映像(あるいは映画)で見たことがある古い日本の雰囲気を感じるとともに、自覚がない記憶の遺伝のようなものが作用しているのかもしれません。

片倉佳史さんの書籍「台北・歴史建築探訪」によると、台北だけでも200ヶ所以上の日本統治時代の建築物が残されているそうです。

この時代の建物は日本にはもう数少なくなっています。でも台湾にはたくさんあるのです。

今日はそんな日本統治時代の建物の中で台北市内にあるいくつかの建物の今と昔の姿をお伝えします。

(以下のサムネイル画像はクリックで拡大します)

臺北市公會堂(中山堂)

臺北市公會堂

臺北市公會堂(画像:国立台湾大学)

中山堂

中山堂

中山堂は、台北市中正区に位置する歴史的建築物で、1936年に「台北市公会堂」として建設されました

日本統治時代には、政府の公式イベントや文化活動の拠点として使用され、戦後は中華民国政府によって「中山堂」と改名されました。

地上3階建ての建築物で、台湾総督府(現総統府)や台北州庁(現監察院)など主に台湾の行政関連施設の設計を手掛けた森山松之助が設計しました。

つい、「なかやまどう」と言ってしまいますが、日本語読みは「ちゅうざんどう」。孫文(孫中山)に由来した名前だからです。

関連

台湾で「中山」はよく見かけると思います。中山路、中山公園なども孫文に由来します。また、「中正」も多いですね。こちらは蒋介石(蒋中正)の名前に由来します。

日本統治時代は、政治的な行事や文化的な催し、演劇、公演会場として使用されました。特に、昭和天皇の即位を祝う「昭和天覧記念台湾博覧会」の関連行事として完成しました。

戦後は政府の式典や文化活動、現在は演劇や展覧会、コンサートなどの文化的施設として機能しています。

臺灣總督官邸(台北賓館)

臺灣總督官邸

臺灣總督官邸(画像:国立台湾大学)

台北賓館

台北賓館

総督府官邸は、台湾総督府の総督官邸として建設されました。

野村一郎、福田東吾の設計で1901年に完成したものの、一部が木造だったためシロアリ被害に悩まされ、森山松之助により再設計され増改築。1913年に完成しました。

さて、台湾の古い建物の設計にはよく森山松之助の名前が出てきますので、どんな人だったのかを記しておきます。

森山松之助とは

1869年大阪生まれ。東京帝国大学出身で主に台湾の官公庁などの設計を手掛けた建築家。

1906年に台湾へ。現在は国定古蹟となっている台湾総統府、監察院、台北賓館、国立台湾文学館など多くの建物の設計に携わった。

台湾から離れた1922年には日本で建築事務所を設立し、民間を含めた多くの建築物の設計を行なった。現在でもいくつかの建物が現存。長野県片倉館、東京の聖心女子大学パレスなどは重要文化財に指定されている。

日本統治時代は台湾総督の公邸および公式行事の場、各種重要な会議や海外からの賓客を迎える場としても機能しました。

戦後は中華民国外交部の管理となり、現在も台湾政府が使用していますが、公務がない時に内部が一般公開されることもあります。

臺灣總督府廰舎(中華民国総統府)

臺灣總督府

臺灣總督府(画像:国立台湾大学)

中華民国総統府

中華民国総統府

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建物の設計原案を森山松之助が修正し、1919年に完成。台湾総統府の庁舎として建設されました。

戦後は、戦争で破損した部分を修復し、1948年には介寿館という名前で完成し、展覧会などを開催。

その後はいくつかの行政機関が使用しましたが、1950年には中華民国総統府となり、総統の執務を行う場所となりましたが、名称は介寿館のままでした。

2005年になり、総統府に名称を変更。

現在では一部を解放し、見学もできるようになっていますが、2024年5月からしばらくの間は工事のため参観は不可となっているようです。

臺灣銀行本店

臺灣銀行本店

臺灣銀行本店(画像:国立台湾大学)

台湾銀行本店

台湾銀行本店

1897年に創業した台湾銀行は当初は木造建築でしたが、1937年に現在の姿に建て替えられました。西村好時による設計

当初は国策銀行であり、紙幣を発行していました。

台湾銀行券

台湾銀行券(画像:Wikimedia Commons

当時のお札には台湾銀行の名前があり、建物の絵柄も挿入されています。

戦後すぐに解散させられましたが、1946年に商業銀行として再出発。ただし、商業銀行ではあるものの、2000年までは紙幣の発行業務を行なっていました。

現在は完全に商業銀行となり、台湾最大の商業銀行でもあります。また、東京や上海にも支店があります。

臺北新起街市場(西門紅楼)

臺北新起街市場

臺北新起街市場(画像:国立台湾大学)

西門紅楼

西門紅楼

観光客の多い西門駅からすぐの場所にある西門紅楼。

八角堂とも呼ばれたこの建物は近藤十郎と松ヶ崎萬長によって設計され、1908年に竣工。

台湾で初めての公営市場となり、新起街市場と呼ばれていました。

戦後には紅楼劇場となり、京劇などの演劇が催されていたそうです。やがて紅楼戯院となり、映画館に。

現在はお土産店などのショップやカフェが1階に、2階は劇場となっています。

臺北帝國大學(国立台湾大学)

臺北帝國大学

臺北帝國大学正門(画像:Wikimedia Commons

国立台湾大学正門(画像:Wikimedia Commons

東京、京都、東北、九州、北海道、京城(韓国)に次ぐ日本で7番目の帝国大学として1928年に設立。

台湾で唯一の大学として設立されましたが、台湾人はほとんどおらず、主に日本人のための学校でした。

戦後には国立台湾大学と改称し、台湾人のための大学となり、現在では台湾の大学ランキングではダントツの1位。優秀な頭脳が集まる大学でもあります。

正門をはじめ、いくつかの建物は当時のまま残されており、見学も可能です。

北投溫泉公共浴場(北投温泉博物館)

北投溫泉公共浴場

北投溫泉公共浴場(画像:国立台湾大学)

北投温泉博物館

北投温泉博物館

元々は瀧の湯という浴場でしたが、1913年に改築され北投温泉公共浴場としてリニューアルされました。

設計は森山松之助です。イギリス風でありながら屋根は日本風という当時から目を惹く建築物でした。

1階は大浴場、2階は大広間になっており、多くの日本人がここで温泉に浸かり、大広間でのんびりとして過ごしたそうです。

戦後も建物は残ったものの、徐々に廃墟化しつつあったそうですが、1990年代に入り台北市から市定古跡に指定され、改修を施し1998年に北投温泉博物館として再出発することになりました。

博物館ですが入場は無料ですので自由に見学できます。ちなみに現在は温泉には入ることができません。

臺北州庁舎(監察院)

臺北州庁舎

臺北州庁舎(画像:国立台湾大学)

中華民国監察院

中華民国監察院

1915年、森山松之助の設計により建てられた建物です。当時は台北庁庁舎、後に台北州庁舎となりました。

戦後も中華民国の政府関係の建物として使われてきましたが、1958年からは監察院となり、台湾政府の一部として機能しています。

台湾政府は総統をトップとして5院体制からなり、それは行政院、立法院、考試院、監察院、司法院からなっています。

監察院は全ての公務員の不正告発や会計監査、そして政府機関の監査などを行なっている台湾の最高監査機関です。

台灣總督府博物館(国立台湾博物館)

台灣總督府博物館

台灣總督府博物館(画像:国立台湾大学)

国立台湾博物館

国立台湾博物館

→ 国立台湾博物館(本館・古生物館・南門園区・鉄道部園区) 共通入館チケット

前述の台湾総督官邸も手がけた野村一郎による設計で1915年に完成したこの博物館は、二二八和平公園の中にあります

元々ここには児玉総督後藤民政長官記念館という建物があり、これはその名前から分かるように児玉源太郎台湾総督、後藤新平民政長官の記念館として1908年から存在していました。

翌年には台湾総督府博物館となり、1915年に新築されたのが現在の建物です。

児玉源太郎や後藤新平は台湾史を少し勉強すれば必ず出てくる名前で、その名残りなのか現在も彼らの像が館内に残されています。

児玉源太郎

日本では内閣の大臣を歴任していた児玉源太郎は第4代台湾総督に就任。民政長官に後藤新平を起用し、反日勢力を鎮圧し、台湾を平定。台湾の治安を大きく安定させた。

後藤新平

第3代の台湾民政長官。台湾近代化の父と呼ばれる。アヘンの撲滅やインフラ整備などの大改革を実行し、新渡戸稲造を呼び寄せ、製糖産業を世界で通用するレベルに押し上げた。

現在も博物館として営業していますので、チケットを購入すれば自由に見学ができます。

臺北郵便局(台北北門郵局)

台北郵便局

台北郵便局(画像:国立台湾大学)

台北北門郵局

台北北門郵局

当初は木造でしたが、栗山俊一の設計により現在の建物が1930年に完成しました。

台北駅から歩いてすぐの北門の前にあるので、見たことがある人も多いと思います。

上の画像をよく見るとわかりますが、当初は3階建。戦後に増築されて4階建になりました。

現在も郵便局として機能している他、2階部分は博物館にもなっています。

郵便局の営業時間と博物館の営業時間は違いますが、営業時間内であれば内部を見学できます。

Klook.com

台北市内にある日本統治時代の建築物まとめ

臺北新起街市場(西門紅楼)

臺北新起街市場-現在の西門紅楼(画像:国立台湾大学)

これだけ再開発され、大都市化している台北市内だけでも冒頭に述べたように200ヶ所以上の日本統治時代の建物があります。

今回紹介したのはほんの一部ですが、当時の写真と見比べることができるようにしました。

台北市内でこの状況なので、地方に行ってももちろん当時の建物はたくさん残っています。

例えば台南市に残された建物の一部は下記で紹介しています。

→ 台南駅から徒歩で行ける日本統治時代のレトロな建築物まとめ

各地にある老街も多くは日本統治時代の建物が残されています。

→ 【台湾老街ランキング】データで判明した楽しすぎる老街はココです

台湾中にどれだけ残されているのでしょうかね?

古い建物を修復しながら、大切に使うその精神は、日本人は見習うべきだと思います。

何でもかんでも、再開発の名のもとにぶっ壊してしまう日本には、もう当時の面影はほとんどありません。

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  • この記事を書いた人

NOBU

東京出身、沖縄在住、50代男。個人事業主。
日本統治時代に曽祖父、祖父、父が台湾に住んでいました。台湾は父の故郷です。 このブログでは台湾旅行で得た情報や楽しく快適に旅行できるノウハウなど台湾情報を発信中。
台湾検定 1級 / 台湾華語検定 A1級 / 台北新四国八十八ヶ所霊場研究家 / 台湾雑貨オンラインストア運営
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