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台北新四国八十八ヶ所霊場シリーズその3「臨済護国禅寺編」
シリーズ3回目となる今回は台北市内の臨済護国禅寺を訪ねました。
台湾にも四国霊場があった。その事実を知った時、これは実際に行って確かめてこなければならないし、それをするのが私の役目だと思いました。
他の記事は下記です。ぜひ合わせてお読みください。
臨済護国禅寺の概要
台北MRT淡水信義線の円山駅からすぐ、花博公園の隣にある大きなお寺です。臨済宗妙心寺派。
このお寺は当時は札所になっていましたが、近くにあった浄土宗布教所の移転の際や、戦後に別の場所からも石仏が集められ安置されたようで、9体もの石仏が現存しています。
境内は台湾風の部分もあるものの、日本統治時代の建築物がいくつかそのまま残り、一部分だけを見れば日本のどこかのお寺と思ってしまうほどです。
お寺にも日本統治時代のものがたくさん残っていますが、この護国禅寺がある円山(圓山)という地名自体も当時の日本人が名付けたそうです。
観光客はそんなに来ない駅ではありますが、台北駅から4駅とアクセスも良いので、故宮博物院や士林夜市に行く前に寄ってみてください。
臨済護国禅寺の境内
線路沿いの玉山街という通り沿いに上の写真の入口がありましたが、閉まっていて入れません。
しかし左側の門から入れと書いてあったので、左側に行きましたが、門は見つかりません。どうしたものかと思って試しに右側に向かって歩いていくと入口を発見しました。
どうやら「この入口に向かって左」ではなく、「お寺の中から見て左」という意味のようです。
つまり円山駅側(花博公園に隣接)に歩いて行くと門が見つかります。
かなり広く大きなお寺です。
こういった部分を見ると日本かと思ってしまいますね。
境内には大きな建築物がいくつかあります。
先ほどの門から入って右手に入解脱門と書かれた門があり、階段があります。ここを上ります。
南無阿弥陀佛を赤い字で書かれた岩と仏像を横目に見ながら、もう少し上まで進みます。
この大きな南無阿弥陀佛石碑の真上あたりが台北新四国八十八ヶ所霊場の石仏がある広場です。
なお、写真を撮影したつもりで保存されてなかったので明確ではないですが、目的地の石仏がある場所は入場時間が決まっています(別の門があります)。
記憶は曖昧ですが、9:00〜16:00だったと思います。
そしてこの臨済護国禅寺自体も入場時間が決まっています。(ランチタイムがあるようです)
8:30〜11:00及び13:00〜17:00
従って、石仏を見ることが可能なのは、9:00〜11:00、13:00〜16:00だと思われます。
台湾の寺廟の多くは夕方には門を閉じてしまいます。
行天宮や龍山寺あたりの観光客が多い寺廟は22:00くらいまで門は開いていたりしますが、一般のお寺の多くは16:00とか遅くても18:00くらいには閉門します。ご注意ください。
小さな門をくぐり、この八角亭という建物の前が広場になっており、ベンチがあり休憩できる場所になっていますが、この広場にお目当ての石仏が並んでいます。
こんな感じになっていますので、ここで石仏をゆっくり見ながら木陰で休憩もできます。
臨済護国禅寺の動画
短い動画にまとめてあります。ご覧ください。
臨済護国禅寺の9体の石仏
臨済護国禅寺はかつての札所であり、11番から14番までの石仏があったとされていますが、そのまま現存しているのは11番・12番・13番。
果たして14番はどこに行ってしまったのでしょうか?なぜ14番だけないのでしょうか?いまだに行方不明です。
しかし逆に、霊場の廃絶後、いつの時点かは不明ですが他のいくつかの石仏がこのお寺に移設され、現在は9体の石仏が安置されています。
11番藤井寺の薬師如来石仏
ほとんどの石仏はご本尊の下の部分に札所番号と寺院名が刻まれていますが、11番そして次の12番はなぜかご本尊の左右にそれが刻まれています。
ご本尊に向かって右に「十一番」、左に「阿波藤井寺」、そして上に「薬師」の文字が見えます。
12番焼山寺の虚空蔵菩薩石仏
こちらもご本尊の左右に文字が刻まれている石仏です。
約100年前に造られた石仏です。一部に補修の痕跡があります。100年の間、補修をして保存してくれた台湾の人たちに感謝です。
13番大日寺の十一面観世音菩薩石仏
逆光になってしまいましたが、こちらは下部に十三番、大日寺の文字が見えます。
ここまでの11番、12番、13番は台北新四国八十八ヶ所霊場創設時のままこのお寺に安置されています。
16番観音寺の千手観世音菩薩石仏
16番は当初は臨済護国禅寺のすぐ近く浄土宗台北開教院(圓山忠魂堂)という場所にありました。現在の台北市立美術館付近です。
しかし4年後の1929年に台北開教院は現在の善導寺の場所に移転しましたが、その時に11番〜18番の石仏は臨済護国禅寺に移設されたと思われます。
16番の石仏については、1934年に曹洞宗台北別院出張所に移設。曹洞宗台北別院出張所の当時の場所は明確ではないですが、6番石仏が安置されていた曹洞宗台北別院(現在の東和禅寺)から近い東門付近にあったようです。
そしていつの時点からかは不明ですが、更に移設され16番は現在は臨済護国禅寺に戻っています。
巡拝の順番
- 順打ち 札所を1番から順番に打っていくこと
- 乱れ打ち 順番通りに打たないこと
- 逆打ち 最後の札所から逆に打っていくこと
ちなみに霊場巡拝を記録した当時の日本人である三九郎の手記によると、新富町の不動明王(5番)を打ってから、16番を打ち、次に6番の曹洞宗台北別院を打ったそうなので、乱れ打ちしていたようです。
18番恩山寺の薬師如来石仏
18番は浄土宗台北開教院(現在の善導寺)から1934年に直接こちらに移設されたと推察されます。
18番石仏の年表
- 1925年 浄土宗台北開教院(圓山忠魂堂)。現在の台北市立美術館付近。
- 1929年 浄土宗台北開教院の移転時に一緒に移設。現在の善導寺。
- 1934年 臨済護国禅寺に移設。
浄土宗台北開教院には15番と17番もあったはずなのですが、それらはどこに行ってしまったのかは分かりません。
1929年に善導寺の場所に移設されていた頃は、打ち方としては5番→16番→6番→15・17・18番→7番という順番で乱れ打ちしていたと思われます。
かなり私的な話になりますが、1929年に移設された浄土宗台北開教院があった辺りは日本統治時代は樺山町と呼ばれ、私の曽祖父、祖父が同じ町内に住んでいました。私の実父も樺山生まれです。
実父から聞いた話では、私の曽祖父はこの浄土宗台北開教院の移設に深く関わっており、多額の寄進をしていたとのこと。
ひょっとしたら曽祖父や祖父は台北新四国八十八ヶ所のことも詳しく知っていたのかもしれませんが、当然もう生きていません。そもそも私が生まれた時には2人とも他界していました。
しかし16番と18番の石仏は少なくても曽祖父や祖父も見て知っていたはずなので、それを私も見ることができたのは妙な縁を感じます。
75番善通寺の薬師如来石仏
75番善通寺の石仏は北投の星乃湯温泉旅館付近にありました。しかし距離的にやや離れているにも関わらず臨済護国禅寺に移設されています。
78番郷照寺の阿弥陀如来石仏
こちらも75番と同じく星乃湯温泉旅館付近にありましたが移設されてきました。
星乃湯温泉旅館は、佐野庄太郎という人物が地熱谷付近を開拓して作り上げた北投随一のランドマークとして有名でした。
終戦時に佐野は従業員に全てを譲り、戦後は逸邨大飯店と名前を変えて営業を続けましたが、2013年に廃業してしまいました。跡地は2023年現在廃墟になっていますが、近々再開発の予定があるようです。
なお、ツアーで巡拝していたお遍路さんの多くは4日で結願したと言われており、3日目の夜はこの星乃湯温泉旅館に宿泊するのが通例だったそうです。
79番天皇寺の十一面観世音菩薩石仏
こちらの79番も星乃湯温泉付近から移設されました。七十九番の横には天皇寺という寺号ではなく、院号の高照院という文字が記されています。
80番国分寺の十一面千手観世音菩薩石仏
80番も同じく星乃湯温泉からの移設です。八十番の横の文字はかすれていて判別ができません。
台北新四国八十八ヶ所霊場臨済護国寺編まとめ
臨済護国禅寺は残された石仏を安置している場所の中で、台北天后宮の次に行きやすい場所です。
台北市内観光のついでに立ち寄るということが可能なので、台北新四国八十八ヶ所霊場のことを少しでも気になるのならぜひこの2ヶ所に行ってみてください。
石仏とは関係ない余談ですが、臨済護国禅寺から円山駅を挟んで反対側を少しだけ歩くと大龍峒保安宮という巨大な廟があります。
台北三大廟門の一つで、保生大帝という医学の神様を主祭神として祀る廟です。
時間があれば行きたかったのですが、時間がなくなり断念しました。お時間のある方はぜひ立ち寄ってみてください。
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