台北新四国八十八ヶ所霊場シリーズその4「正願禅寺編」

正願禅寺の石仏群
台北新四国八十八ヶ所霊場の残された石仏を訪ねるシリーズ4回目は、台北市中山区にある正願禅寺編です。
日本統治時代の台湾には台北新四国八十八ヶ所霊場と言う写し四国霊場が存在していました。
偶然にもそれを知った私は台北に行き、当時の札所にあった残された石仏を訪ねます。
過去3回の内容は下記で。できるだけ最初の台北天后宮からお読みください。
正願禅寺へのアクセス

剣南路駅
正願禅寺へのアクセスはあまり良くはなく、台北MRT文湖線の剣南路駅が最寄になります。
駅からは徒歩だと30〜40分ほど。上り坂になるので脚に自信のない方や時間のない方はUberもしくはタクシーで行きましょう。
徒歩で行かれる人へ
Google Mapを使ってください。北投龍雲寺もそうでしたが、AppleのマップやYahoo!マップでは表示されないようです。

剣南路
駅から剣南路を進んでください。ほぼ一本道なので迷わないと思います。

正願禅寺案内
GoogleMapを見ながらここまで来たら、ここの左側を進みます。

正願禅寺案内
やがて小さな廟があります。その前にこの緑の看板がありますので、ここを矢印の方向に進みます。

正願禅寺入口
左手に駐車場があったらその奥まで行くとこんな門がありますので、ここを進めば石仏が並ぶところまで行けます。
この門は常時開いているわけではないようですが、私が行った時間は16:00を過ぎていました。最悪閉まっているかもしれないと思いつつ、一か八かで行ってみたわけです。
臨済護国禅寺編でも書きましたが、台湾の寺廟は夕方には閉門するところが多いです。ご注意ください。
なお、本堂はどこにあるのか分かりませんでした。もっと下ったところに建物が見えたのでそこかもしれませんが、今回の目的は石仏なので石仏だけ見てきました。
正願禅寺の石仏動画
動画も撮影してきました。興味のある方はご覧ください。
正願禅寺に残された石仏群

並んだ石仏
石仏は7体の他に弘法大師像2体と文殊菩薩像の石仏もあり、石仏自体は10体あります。
ここの石仏は壁面を背にして等間隔で一直線に並んでいます。
19番立江寺の延命地蔵尊石仏

19番立江寺延命地蔵菩薩像
正願禅寺は元々札所ではありませんでした。それなのになぜこの寺院に多くの石仏を集めることになったのかは不明です。
現在安置されている19番、22番、28番、34番はかつては芝山巌(しざんがん)という場所にありました。
芝山岩は現在の芝山公園(芝山岩文化史跡公園)あたりになります。正願禅寺からは約4キロ離れています。
22番平等寺の薬師如来石仏

22番平等寺薬師如来像
芝山巌は周辺は山の裾であり、散策を楽しむ場所である一方、かつては教育の中心地として機能しました。
台湾を統治した後、日本式の教育を行うためここで教育を行うとともに教科書の編纂をしていたとされます。
28番大日寺の大日如来石仏

28番大日寺金剛界大日如来像
しかし、日本の統治に反対する一部の台湾人から攻撃を受け、6名の教員と用務員が惨殺されてしまう事件が発生してしまいます。
この時、教員らはあえて武器を持たないで対峙することこそ教育である、という精神で、治安が悪化していたにも関わらずこの地から逃げることなく教務に当たっていたとされます。
これが芝山巌事件と言われるもので、その後この地には殉死した教員を合祀した芝山巌神社が建立されます。
34番種間寺の薬師如来石仏

34番種間寺薬師如来像
日本統治時代が終了し、かつての学堂も神社も取り壊されてしまいましたが、恐らくこの時期にこれらの石仏も一部は処分され、また一部をどういう理由があったのかは不明ですが、この正願禅寺が保存することになったのでしょう。
36番青龍寺の波切不動明王石仏

36番青龍寺波切不動明王像
他に保存されている36番、37番、38番は「士林から草山までの道路道筋」に置かれていました。
士林の地名はそのまま現在でも残っています。草山とは陽明山のことで、芝山岩も士林からの道筋途中になります。
37番岩本寺の阿弥陀如来石仏

37番岩本寺阿彌陀如来像
つまり士林から陽明山へ向かう場所にあった石仏のいくつかを正願禅寺に移設したことになります。
37番岩本寺は阿弥陀如来像となっていますが、岩本寺はご本尊が5仏あるお寺です。なぜその中から阿弥陀如来を選んだのか、理由があるのか、適当に選んだのかはわかりません。
38番金剛福寺の三面千手觀世音菩薩石仏

38番金剛福寺三面千手観世音菩薩像
想像ですが、日本統治時代が終わった後、残された台湾人たちは、これらの石仏を「そんなもん壊して捨てろ派」と「どこかに保存していておいた方が良い派」がいたと思います。
きっと「どこかに保存しておいた方が良い派」の人たちが、一部だけでもと移設先を探し、少し距離は離れているけれども、当時の正願禅寺のご住職が受け入れたのではないでしょうか。
そんなことさえ考えてしまいます。現実はどうだったのでしょうね。
ともかくこうして一部だけでも現存していることで、私のような奇特な日本人が訪ねてくることになったわけで、当時の台湾人たちには感謝しかありません。
弘法大師石仏2体

弘法大師像その1
正願禅寺には弘法大師の石仏が2体残っています。上は石仏群に向かって一番右の弘法大師です。

弘法大師像その2
こちらは向かって一番左にある弘法大師です。
弘法大師の石仏は全体でいくつ造られたのか、そしてどう言う意図で、あるいはどう言うルールで配置場所を決めたのかは不明です。
文殊菩薩石仏

文殊菩薩像
これが謎の文殊菩薩の石仏です。文殊菩薩をご本尊とする札所は竹林寺しかないため、これを31番石仏とする説がありました。
しかし現在発見されている他の全ての石仏には札所番号と寺院名が刻まれているにも関わらず、この石仏はそれらがなく、なぜか文殊菩薩と刻まれています。
なぜ文殊菩薩とだけ刻まれた石仏があるのかは謎なのです。石仏の形などを見ても明らかに台北新四国八十八ヶ所霊場の石仏と同じ形であるにも関わらず、なぜこのような石仏が存在するのか。
何の意図を持って造られたのか。どこにあったのか。
文殊菩薩石仏の謎
これは想像の域を出ない話ですが、私は文殊菩薩の石仏は芝山巌の学堂にあったのではないかと思います。
文殊菩薩は「3人寄れば文殊の知恵」とも言われるように知恵の神様です。学業成就のご利益があるのです。
教育の聖地とも呼ばれていた芝山巌です。この周辺に石仏を配置するにあたり、特別に教育の聖地である学堂にも学業成就の意味を込めて、この文殊菩薩像を配置したのではないでしょうか。
台湾の研究家でこの台北新四国八十八ヶ所霊場を世に知らしめた林承緯氏は著書「宗教造型與民族傳承(2012年)」内において、この石仏を31番とは認めていませんでした。
私もかなり調べた結果、2020年時点でアメリカのミシガン州にある個人宅で31番(と29番)の石仏を保存していることが判明。写真も確認しました。
なぜ石仏がアメリカに渡っていたのかは不明です。売られたのでしょうか。
ともかくこの文殊菩薩の石仏は31番ではないということになります。
それでも謎の文殊菩薩の石仏です。
台北新四国八十八ヶ所霊場正願禅寺編まとめ

正願禅寺の石仏群がある場所への出入口
台北新四国八十八ヶ所霊場シリーズは何人かの人から「大変興味深かった」と言う感想をいただいたり、実際に「行ってみる」と言う人もいて、本当に嬉しい限りです。
一般大衆受けする記事ではありませんが、一部の人には関心を持たれるだろうと思い、一人でも多くの人に知ってもらうべく記事を書きました。
台北新四国八十八ヶ所霊場の石仏を訪ねる旅は、日本統治時代の歴史を感じることができる旅でした。
戦後のどさくさで過半数は遺失してしまいましたが、台湾には日本統治時代のものを残すという風潮があります。
現に台湾各地に当時の建物がたくさん残っており、リノベーションした上で今もなお健在です。
石仏も今後どこかで新たに発見されることはあっても、これ以上減ることは恐らくないでしょう。
シリーズ全4回で訪ねた場所の石仏は、明確にここにあると言うことが判明していたこともあり、行くことができましたが、残りの石仏は難関です。
「ある程度具体的な場所がわかっている石仏」「アバウトな場所しかわからない石仏」がありますが、どれも多くは陽明山の山中です。
国立台湾歴史博物館に収蔵されている3体は非公開。(何かの企画展などで展示される可能性があるので一応問い合わせ中)
外国で車やバイクを運転するほどの強心臓は持ち合わせていないので、他の多くの石仏は歩いて探すしかなさそうですが、いつの日か行ってみて、このシリーズの第5回目を書く日が来れば良いなと思います。
4回に渡る台北新四国八十八ヶ所霊場特集。お読みいただきありがとうございました。
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